maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

レポート提出

大学時代の、レポート提出の経験をお話しします。

   慶應大学3年生になり、日吉キャンパスから三田へ移動、貿易論のゼミナールの面接を受け、入りました。

  ゼミが始まり、3年生の「修行」であるレポート提出が始まります。先輩の4年生たちは、笑いながら、「大変だよ、頑張れ」と言っていますので、相当大変らしいです。

   ゼミの授業は毎週月曜日、先生が3年生にレポートのテーマを出します。友人の資料によれば、最初のテーマは、『日本貿易構造の特質とその進路』でした。文献を調べ、レポートを書き、翌週のゼミで提出です。合格となれば良いですが、「再提出」となると書き直しです。したがい、翌週には「再提出」と「新提出」の、2つのレポートを提出です。「再提出」がたまって、ある週に7つも提出した強者もいたらしいです。

 

  神田の古本屋街に行き、参考文献を探して歩きました。僕たちの先生は、

近代経済学派なのに、うっかりマルクス経済学派の先生の本を買ってきて、レポートの「参考文献」に含めた、などという者も出て、笑い話になりました。

   毎週月曜日の提出なので、日曜日はだいたい徹夜でした。レポートを書くというよりも、文献を写すという感じで、かつレポートの枚数を増やすことに腐心しました。枚数が少ないと「再提出」にならないか、という「心配」があったからです。

   こうして、4月から7月の野尻湖夏季合宿までに、12本のレポートを提出しました。毎週が波乱の「ドラマ」で、鍛えられました。序文から始まり、起承転結、最後に参考文献のリストをつけて終わるのですが、この「修行」は、いろいろな面で、社会人になってから役立ちました。神田の古本屋巡りも、このレポート提出がなければ、味わうことはなかったでしょう。

   夏休みにゼミの宿題がでました。欧米文献を読んで、レポートを書くのです。僕は、しっかりレポートを書いたのですが、それを、新学期に、電車の窓から外へ落としてしまいました。先生に1週間待ってもらい、もう1度、書き直しました。大変でしたが、2倍勉強ができて、良かったです。

   友人の記録によれば、冬休みにも、欧米文献の宿題がでて、3人ずつ集まり共同でレポート作成。締め切りの12月30日午前0時の1分前に、先生のお宅に駆け込んで提出し、終電が終わったので歩き、自宅に帰り着いたのは明け方だったという豪傑もいました。