日本分割
戦争に負けた日本は、戦勝国に「食いちぎられる」寸前でした。そうなれば、今の朝鮮半島より、もっと悲惨なことになったでしょう。
米国・英国・中国・ソ連の4カ国による「日本分割」統治案が決まっていました。
[ソ連]=[北海道]・[東北]
[米国]=[関東]・[中部]・[関西]・[沖縄]
[中国]=[四国]
[英国]=[中国地方]・[九州]
[米]・[英]・[中]・[ソ]=[東京を4分割]
[米]・[中]=[大阪を2分割] (ネット情報)
国土が5分割され、「北日本」が「共産圏」、「中・南日本」が「自由圏」、こんな日本を想像してみてください。
1951年のサンフランシスコ講和会議では、アメリカが日本の独立を認めようとするのに対し、ソ連は日本の主権を制限しようとしました。
日本は、5つの国に分割されるかもしれない、敗者の哀れな姿でした。
そのなかで、スリランカ代表が、日本を擁護する感動的な演説を行い、これが、日本の運命を大きく変えたと言われています。
スリランカ代表、J.R.ジャヤワルダナ蔵相の演説の一部です。
「何故アジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。それは我々の日本との永年に亘るかかわりあいの故であり、又アジア諸国民が日本に対して抱いていた、高い尊敬の故であり、日本がアジア諸国民のなかで、ただ一人強く自由であった時、我々は日本を保護者として又友人として仰いでいた時に、抱いていた日本に対する高い尊敬の為でもあります。」(ネット情報)
日本を「殺」してはいけない、日本はアジアの諸国民が尊敬してきた立派な国である、日本に「自由」を与えよ、と訴えてくれた彼は、日本の大恩人です。
ときの吉田茂首相は、この演説に感泣し、その後、日本とスリランカは特別に親しい関係となります。ジャヤワルダナ氏はその後、スリランカ大統領になりました。