maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

治水三傑

最近テレビで、日本の治水の歴史上、3人の偉大な人物について特番しました。「プロジェクト X」ならば「治水の歴史」というタイトルになるでしょうか。

 改めて、日本の今日があるのは、偉大な人々がいたからだ、という思いを強くしました。

 武田信玄

まず、戦国時代の武田信玄です。甲府盆地には、たくさんの川が流れ、氾濫を繰り返していました。そして、多くの「危険な豪族」の土地が川に面して、ありました。

 信玄は、豪族たちの反発を抑えながら、それらの川をまとめ、釜無川と御勅使川(みだいがわ)という2つの流れが合流し、1本の川になる、という姿にしました。甲府盆地の北部に3kmにわたる「信玄堤」と呼ばれる堤防を築き、激流がカーブするところでは、堤防が破壊されないように、もう1つの短い堤防を平行して内側につくり、2つの堤防の間に、水や魚を逃がしました。

 

津田永忠。

江戸時代、岡山では、「旭川」が氾濫を繰り返していましたので、永忠は、「百間川」という支流、放水路をつくり治水しました。

 さらにこの放水路の下流を埋め立て、広大な新田をつくりました。岡山藩の役人たちは、このプロジェクトに大反対し、費用の半分しか出しませんでした。困った永忠は、大阪商人を説得し、多額の借金をして工事を完成しましたが、結果は大成功でした。

 

金原明善

明治時代、諏訪湖から浜松に流れる天竜川の流域は、毎年、氾濫による洪水で大きな被害を受けていました。

 名主の家に生まれた明善は、全財産を投げ出し、天竜川流域の治水に乗り出し、困難を乗り越え、成功します。

 天竜川は、両岸が山々に挟まれていますが、「はげ山」のため、降水がまともに川に流れ込みます。「治河協力社」を設立した明善は、大久保利通の支援も受け、17年間に680万本の杉や檜を植えました。これが「天竜美林」となり、降水を「貯蔵」し、林業も栄えました。

 昭和20年(1945年)以来、天竜の氾濫は起きていないそうです。