maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

祈ってもダメ

天神様に行って、「○○大学に受かりますように」と絵馬を書き奉納します。

それから、100円玉を賽銭箱に投げ入れ、同じことを祈ります。

 しかし、受かる人は受かり、受からない人は受かりません。

 

人は何故、天神様にいくのでしょうか?

 

ま、月並みで、正解に近い答えは、「受かるために、やれることは、全部やる。後悔しないように。」でしょうか。

 

あのプロ野球の名選手、「イチロー」も、試合で良いプレーをするために、良いことは何でもした人でしょう。「神頼み」をしたかどうかは、わかりませんが。

 

結論を言うと、「神頼み」は効果がありません。それでも、人は、いざとなると、「神様、お願いします」と祈らずにはいられないのです。これ以上は、もはや、超人間的な力を頼るしかない、と思うからです。

 

あのキリストも、十字架にかけられる運命と知り、神様に「この杯をわたしから取り除けてください」と祈りました。しかし、それが無理だということも分かっていて、「御心がおこなわれますように」と従順になります。

 

しかし、それでも、十字架の上で、息が絶える前に、「神様、なぜわたしを見捨てたのですか」と叫んで、恨み言をいいます。

 

キリストは、人間の「お手本」でした。キリストは、人間として、自分が正しいと思うことを堂々と行い、権力に屈しませんでした。それで、睨まれ、無理矢理、政治的な理由で、十字架につけられました。釘は痛かったと思います。

 

人間らしく生きることは、これだけ大きなリスクがあるのですね。

 

今、共産党中国(中華人民共和国)では、人権蹂躙の独裁・恐怖政治が行われています。自由と民主主義を叫ぶ勇敢な人々が、つかまっています。