maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

「9イニング」の人生〜その11

慶應大学商学部に入学しました。

昭和38年、1963年です。

 

受験という重圧から解放された若者たちは、高校時代にくらべ、急に、全面的に自由になったことで有頂天になり、クラブ活動に、運動部に、麻雀に、ナンパに、青春を謳歌し始めました。勉強しようという人は、ごく一部だったと思います。

 

勉強については、経済学、会計学社会学など、高校時代にはなかった、専門科目がでてきた反面、数学や英語などの一般科目は、高校と同じようなレベルで、復習しているようなものでした。数学の先生もそう言っていました。

 

高校までは、学校も親も「学生は勉強しなさい」という基本線がありましたが、大学に入った途端にそれがなくなり、大学というのは遊ぶところ、よく落第したりするもの、というのが「社会通念」のようです。

 

僕の場合は、スキー・クラブに入り、楽しくやっていましたが、兄から、成績だけは良くしておかないと、就職のときに大変だと言われていました。それで、授業はサボらずに、試験の前1ヶ月は、集中的に勉強しました。

 

その結果、8割以上の科目が、「A」で、就職のときに助かりました。

 

教科書やノートをかかえながら、友だちとキャンパスを歩き回り、教室を移動しながら、遊びの約束をし、昼食は学生食堂で、カレーを食べながら、仲間と大いに騒ぐ、という毎日が楽しくてしょうがありませんでした。

 

授業が終わると、スキー・クラブのトレーニングで、グラウンドを走りました。

そして、冬休みには、志賀高原で合宿をしました。

 

競技スキーの中の「回転競技」といい、左右に振られた旗門を通過しながら、いかに速くゴールまで滑り降りるか、タイムを競うものです。体力を使い、しんどいですが、すごく楽しかったです。