maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

D-Day

2020年6月7日、僕は「ショート・スピーチ集」に、日系人ダニエル・K・イノウエ氏のことを書きました。ハワイ・ホノルルの国際空港にその名を冠せられた、超有名な日系人です。

 

その日は欧米時間で6月6日で、欧米では、第二次世界大戦の欧州戦線で、連合軍がナチス・ドイツ軍に本格敵に反撃し始めた、記念日です。「D-Day」 と呼ばれています。

 

僕が1年間留学していた、グロトン・スクールの同級生たちが、メールを回し、D-Day を偲び、僕にも何か言ってほしい雰囲気でした。

 

僕はダニエル・イノウエ氏のことを書きました。

 

1944年6月6日、アメリカ軍と英軍をはじめとする連合軍は、イギリスの港を出発し、英仏海峡を渡り、ドイツが占領するフランスのノルマンディー海岸に向かいます。ノルマンディー海岸に上陸した連合軍は、進撃につぐ進撃を続け、ドイツを敗戦に追い込んでいきます。

 

ちょうどその前日の6月5日、ハワイの日系人ダニエル・イノウエ氏が米軍兵士として、イタリア戦線で戦っていました。所属するのは、第100中隊、ハワイの日系人だけの部隊です。

 

ダニエルの部隊は、モンテ・カッシーノというところで、ドイツ軍と戦い、勝利し、連合軍はローマに侵攻し、ドイツからイタリアを奪い返しました。

 

ダニエル氏は非常に勇敢に戦いました。右手に手榴弾をもち、ドイツ軍の塹壕に投げ込もうとしたとき、敵の銃弾が右手に当たり、右手は体からもぎ取られて、吹っ飛びました。ダニエル氏は、その切断された右手の指を左手で開き、手榴弾を取り、左手でドイツ軍の塹壕塹壕に投げ込みました。そして気絶しました。

 

ダニエル氏は米軍から、最高の栄誉勲章を受け、また議会からも最高の栄誉賞を受けました。日本でいえば、「勲二等」でしょう。僕はこれらのことを、同級生に伝え、とても良い交流ができました。