maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

日本人と移民(1)

 

日本人と「移民」は切り離せません。明治時代、ハワイやブラジルなどに移住した日本人は、どういう歴史をつくったのでしょうか。

 

現在、ハワイのホノルル空港は、「ダニエル・K・イノウエ国際空港」という正式名称がついています。「イノウエ」という、明らかに日系人とわかる名前がつけられています。最初聞いたときは、ちょっと驚きました。

 

このイノウエ氏は、もとハワイ州の連邦上院議員でした。遡って、第2次世界大戦時、同氏は日系人ながら、米軍に志願し、勇敢な日系人部隊の兵士として、欧州戦線でナチス・ドイツ軍と戦い、全滅の危機にあった米軍部隊を、救出し、その際、片腕を失いました。

 

大戦初期、日本のスパイとの疑惑で、強制収容所に入れられた全米の日系人は、ここまでやって、名誉の勲章を受け、ようやくアメリカ市民と認められました。

 

戦争のあと、イノウエ氏は、大学教育をうけ、高度な職業につき、選挙に出て、上院議員の選出されたのでしょう。アメリカで、上院議員は、格別に尊敬される存在です。白人が中心の、ハワイ州を代表する上院議員になるということは、日本人には想像もつかない、すごいことです。

 

そうなるためには、日系人の筆舌につくし難い労苦と、命の犠牲がありましたが、それを乗り越え、1級のアメリカ市民と肩を並べるようになったところが日本人の立派なところです。

 

移民は、当初、「契約移民」といい、雇われる契約をして、契約した相手の国に移住しました。通常、雇う側は、移民を奴隷のようにこき使い、巨万の富を築きました。ブラジルに移住した日本人は、あまりに過酷な、奴隷のような毎日に絶望し、多数が逃亡したそうです。

 

しかし、逃亡した日本人たちは、団結し、農業協同組合をつくるなど、「小作農」から「自作農」になりました。独立し、雇う側になったのです。そして、二世、三世には、弁護士や医師などの高度な職業につく者もでてきました。