maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

昼 食

オーストラリアのシドニーに駐在していたとき、昼食によく肉を食べました。

オフィス近くに美味しいステーキ・ハウスがあり、駐在員数名で、よく一緒に行きました。入り口を入ると、パブになっており、料理をオーダーしてから、20分ほどワインを飲んでいると、ウェイテーが、席の準備ができたと、呼びにきます。

そのときには、すでに顔が赤くなっている人もいます。ボトルはそのまま席にもっていき、肉を食べながらワインを飲みます。ワインを飲みながら、肉を食べる、かな?郷に入れば、郷に従えで、オーストラリアでは、昼食にワインを飲むことが許されました。

 

そのレストランでは、よく「シャスリック」という料理を食べました。金属製の大きな串に、肉の塊がいくつか刺してあります。「アンガス」という名の店だと思います。

 

 オーストラリア人スタッフの昼食は、皆、サンドウィッチ1つです。少食だなと思っていたら大違い。あるとき、会社で昼食のビュッフェ・パーティをしたのですが、現地スタッフの食べること、日本人の数倍は食べていました。皆、普段は節約しているのです。

 

日本で、現役サラリーマン時代の昼食といえば、丸の内でした。大体、課長と課員数名で、今日は何を食べようかと言いながら、いろいろ行きましたが、ときに、贅沢な鰻屋に行きました。そこで頼む鰻重の「上」は、鰻がお重からはみだしており、贅沢でした。値段は、2千円位だったと思います。「菊屋」とか「菊亭」とかいうような、「菊」のつく名の店でした。残業代が多かったので、結構贅沢ができました。

 

昼食が終わると、すぐ喫茶店に行き、コーヒーを飲みます。混むのをさけ、11時30分には会社を出て、昼食は5分で食べ終わり、あとはコーヒーを飲みながらおしゃべりというパターンでした。僕は、食べるのが遅くて、いつもフーフー言いながら、一番最後でした。

 

小学校2年か3年の頃、友だちの間で「日の丸弁当」とうのが流行り、僕も、おかずは、白いご飯の真ん中に梅干し1つだけでした。母親も、子供が言うので仕方なく、日の丸弁当を作ってくれましたが、ある日、フタを開けたら、梅干しが入っていませんでした。あわてて先生に言い、友だちからおかずを分けてもらったことがあります。

 

小学校の、僕たちの教室は、大きな茅葺きのお屋敷の大広間だったので、冬になると寒く、毎日、学校では大きなこたつの中に生徒たちの弁当を入れて、暖めてくれました。先生たちは大変だったと思います。当時、清泉小学校は、鎌倉に分校ができたばかりで、雪ノ下の、茅葺きの大きなお屋敷が、僕たちの校舎でした。

 

話は、ヨーロッパに飛びますが、ラテン諸国、たとえば、スペインでは、昼食に家に帰り、家族で2時間くらい、ゆっくりとワインを飲みながら食べ、そのあとシエスタという昼寝をし、夕方からまた仕事に行き、夜10時頃からナイト・ライフが始まる、というような生活らしいですね。

 

今、コロナ・ショックで、ニューヨークや東京などの大都市では、キッチン・カーが流行しているようです。昼食に、ホットドッグだけでなく、カレーとか、ハンバーグなど、多彩なランチがあるようです。店側も、場所代がかからず、客の回転が速いので、店を構えるより数倍儲かるのだそうです。

 

ホノルルでも、キッチン・カーは人気で、僕の好きなのは、ドン・キホーテの前にいる、「IRON ・・・」というキッチン・カーで、そこの「ガーリック・シュリンプ・プレート」は絶品です。アジア人がやっています。馴染みになったので、「あと2ドル払うから、エビを2匹増量して」なんて言うと、やってくれます。近くのベンチで、1人前をカミサンと2人で食べて、丁度良い量です。

 

コロナ・ショックで、今年は(2020年)ハワイに行けません。来年どうなるか、コロナはインフルエンザのように、これから毎年流行する、などと言われ始めているので、早くワクチンと特効薬ができてくれないと困ります。