リリウオカラーニ女王
今も歌われているハワイの歌に、「Kaulana Na Pua」 という曲があります。その4番に、ハワイ語で次のように詠われています。
Ma hope makou o Lili’ulani (私たちはリリウオカラーニを応援します)
A loa’a ‘e ka pono o ka ‘aina (この大地の権利を得る日まで)
Ha’ina ‘ia mai ana ka puana (物語を繰り返します)
‘O ka po’e I aloha o ka ‘aina (この大地を愛する人々の権利を)
「リリウオカラーニ」は、兄カラーカウア王の死去にともない、1891年に
ハワイ王国の女王になった人です。
しかし、その僅か4年後に、王国は、ハワイに住むアメリカ人たちによって倒され、彼女は女王の座を追われました。
新しくできたハワイ共和国は、1898年にアメリカ合衆国の準州となり、
さらに1959年、正式に第50番目の州となりました。
ハワイにはアメリカから巨大資本が投下され、美しい街や住宅地、公園、高速道路などの生活基盤が整備され、多くのホテルやマンションが建ち並び、世界の観光地となりましたが、ハワイ人は今なお複雑な思いで生きています。
ハワイ人が、自分たちの大地を、文化を、国を、アメリカに奪われてしまったという事実は動きません。できることなら、いつの日か、また自分たちの手に取り戻したいという切なる願望を持ち続けています。
リリウオカラーニは音楽の才能に溢れ、「アロハ・オエ」をはじめ、多くの美しい曲を作曲し、1917年に79歳で永眠しましたが、今なおハワイ人から深く愛されています。
了
II-1-(15)