maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

ハワイ No.1 カウボーイ

ハワイNo.1カウボーイは、木村 寛(ゆたか)です。

f:id:maboroshispeech:20200417045400j:plain

カウボーイ

  ハワイ最大の島、ハワイ島のワイメアという町に、全米第2位ともいわれる、パーカー牧場があります。寛は、13歳のとき、総支配人の家の庭師と牛乳しぼりや配達をしていましたが、徐々に頭角を現し、ついに副牧童頭にまでなります。白人優位の社会では、62歳で引退するまで、どうしても牧童頭にはなれませんでしたが、実力はNo.1でした。

  1905年、寛は、広島からハワイに移住した、木村正次郎の次男として、

ワイ島に生まれました。家は非常に貧しく、寛も兄弟とともに、重労働に耐えました。寛は優しい子供で、中学校に入学した兄の授業料を出してやりました。

  パーカー牧場で、寛は良く勉強し、肉質の向上や、競走馬の育成にも大きな成果をあげました。

  太平洋戦争が始まると、アメリカ政府はワイメアに住む日系人たちにもスパイ容疑をかけ、強制収容所に送ろうとしますが、寛をはじめ、日系人たちは、地元の白人社会から絶大な信用を得ていたため、誰一人収容所に送られることはありませんでした。

  それにつけても、日系人は、ハワイの近代史において本当によくやったと思います。当初は農奴のように、食うや食わずの極貧生活を送りながらも、2世、3世となるにつれ、自作農となり、商店主、実業家、医師、弁護士、政治家など、各分野で活躍しました。

  ホノルル空港は、今や「ダニエル・イノウエ空港」です。ダニエル・イノウエは、第二次大戦で勇名をはせた日系人の「442部隊」に所属し、勇敢にドイツ軍と戦った、アメリカ陸軍の英雄です。

  ハワイ島に行ったら、いつものように、ワイメアに行き、パーカー牧場の経営するレストランでランチを食べるつもりです。

 

注:本章は、「カウボーイ木村寛」(中野次郎著)を参考にしました。

(2020.3.12.-8)