トルコの恩返し
トルコよ、ありがとう
トルコはあまり身近に感じない国ですが、日本とは深い友情で結ばれて
います。1890年(明治23年)に、日本がトルコを助け、それを忘れなかった
トルコが、95年後の1985年(昭和60年)に、恩返ししてくれました。
日本を訪問する使節団を乗せた、オスマン帝国(現トルコ)の軍艦、エルトゥール
ル号は、和歌山県の串本沖で嵐に遭い、沈没しました。乗員多数が命を失いましたが、
69名が救助され、串本の住民に手厚く介抱されました。
明治天皇は、生存者を2隻の日本軍艦に乗せ、トルコに護送しました。
それから95年が経った、1985年3月12日、イラン・イラク戦争が始まり、
イラクはイランの首都テヘランに爆撃を開始。さらに1週間後の「3月19日午後8時
以降、イランの上空を飛ぶ、いかなる航空機も撃墜する」と宣言します。
この危機に、テヘラン在住の外国人は、母国の救援機で、続々と脱出します。
当然、200余名の邦人も母国からの救援機を待ちます。しかし、来ません!「日
本航空」が、安全の保証がないとして、日本政府からの要請を断ったのです。自衛隊機
も、法律により、危険地域には飛べません。困った邦人たちは、僅かな望みをかけ、他
国の航空会社に頼みますが、断られます。
ここで、日本の商社マンM氏が、かねて親交のある、トルコの首相に救援を依頼す
ると、OKの返事。「トルコ航空機」が日本人全員を乗せ、イスタンブールに向け飛び立
ちました。イラク軍の攻撃が始まる、わずか3時間前です。
時が経ち、2010年、イスタンブールで、そのトルコ機に乗っていたパイロット
や乗務員が、助けられた日本人たちと、感激の再会をしました。そして、
再び同じことが起きたら「喜んで、いつでも飛んでいきます」と答えたそうです。
日本は、平和国家で良いのですが、リスクを恐れるあまり、いざというとき、海外
に取り残された自国民さえ救出することができませんでした。まして、
次にトルコを助けることなど、できるのでしょうか。
了
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