maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

「ハチ」先生

神奈川県立湘南高校に、「ハチ」というあだ名の、名物先生がいました。

 

姓は「村田」。名は忘れましたが、あだ名が「ハチ」だから、「八郎」とか、「ハチ」がついた名前だったのでしょう。発音は落語調に「ハチ」です。

 

「ハチ」は国語と古文の先生で、かの「佐佐木信綱」先生の弟子であると、自分で授業中によく言っていました。佐佐木信綱 (1872 – 1963) は、鎌倉に住み、文化勲章を受けた、偉い歌人、です。

 

「ハチ」が学校で有名だったのは、気性が激しいのと、「風紀係」だったせいです。規則で、夏は、白いYシャツの胸に、必ず「襟章」(バッジ)をつけなければなりません。普段は学生服の詰め襟につけているので、いいのですが、夏は、毎日着替えるYシャツにつけるのを、つい忘れることがあります。

 

そうすると、「ハチ」の登場です。校門のところに陣取り、ある朝、僕はつかまってしまいました。そして、あろうことか、校門の横に立たされたまま、1時間目は、授業を受けられないのです。今なら、そんな乱暴なことはできないでしょう。

 

  「ハチ」については、あと2つ思い出があります。

 

  1つは、「ハチ」が「火事場の馬鹿力」を発揮したという武勇伝。僕が入学する前、学校の木造校舎が焼けたとき、燃えさかる講堂から、グランド・ピアノを1人で運び出した、という本人の話ですが、ギリギリ信じて良いと思います。

 

  あと1つは、授業で「徒然草」の宿題が出て、良くできた生徒の名前を挙げ、褒めたあとに、僕の名を呼び、「君を『褒める』のではない。君は『無常』を

『無情』と誤って書いたので、正しておく」ということでした。はい。

 

  とにかく、全身がエネルギーの塊のような人で、睨まれたり、怒鳴られたりしたら、震え上がります。藤沢の町をうろついて、見つかったら、大変です。でも、いつも全力投球の、さっぱりした、良い先生でした。

絶体絶命

今までに、物理的に絶体絶命のピンチになったことが、2度あります。

 

1度目は、高校時代、学校の帰りです。近くの駅まで、抜け道を通ったとき、向こうから中学生の不良風なのが、5〜6人やって来ました。寂しいところで、辺りには他に誰もいません。

 

先頭のリーダーらしい子供が、ナイフを持っています。

 

金を出せと言っています。

 

迫力がなかったので、腹を決め、大声を上げながら、相手に突進しました。すると連中は逃げていったので、胸をなで下ろしました。

 

あと1回は、オーストラリアのシドニーです。

 

その夜、接待か何かあって、帰りが遅くなり、駐車場からアパートに向かって歩いていると、向こうから、秋田犬よりも大きく、どう猛そうな黒い犬が向かってきます。

 

明らかに、敵意をむき出しにして迫ってきます。これはヤバイ、どうするか。逃げても、絶対にヤラレルと思い、脂汗がにじむなか、向かっていく他ないと、腹を決めました。

 

持っていた皮の鞄を楯にして、猛犬に突進しました。すると、奴は、くるりと回れ右し、逃げていってしまいました。

 

ほっとしながらも、冷や汗をかきました。

 

仕事でも、難題から逃げると、ますます追いかけてきます。

 

腹を決め、正面から突進すると、意外に道が開けることがあります。運命は、「捨て身」になった者の味方らしいです。

チャーハン

挽肉を良くこね、玉ねぎと人参を混ぜ、パンをちぎって入れ、さらに良くこねる。これを円形にしてフライパンで焼けば、僕のハンバーグが出来上がります。チャーハンも、できます。

 

この2つ以外にも、料理はできたと思いますが、再婚してからやらないので、忘れてしまいました。

 

  しかし、肉ジャガでも、ロール・キャベツでも、今から上手につくる自信があります。それは、「YouTube」があるからです。

 

  パソコンを開き、YouTubeの画面で、「肉ジャガ」を検索すると、たくさんの「肉ジャガ名人」が登場し、僕に指名されるのを待っています。

 

  YouTube名人の動画通りにやれば、美味しい「肉ジャガ」も、「肉汁」に満ちたステーキを焼くこともできます。というか、「できる筈」です・・・。

 

  便利な時代になりました。YouTubeは無料です。「料理本」は、売れているのでしょうか。「料理教室」に通う人はまだいるのでしょうか。

 

  YouTubeで、ウクレレのレッスンも受けられます。たくさんの先生が

おり、自分好みの先生、実力に見合ったレッスン、を選ぶことができます。

 

  僕が最近、パイプたばこの詰め方を覚えたのは、YouTubeのお陰です。

達人3人が実演する、それぞれの詰め方を見て、自分で試し、そのうちの1つがうまくいったので、それを実行しています。何十年もできなかった事が、1瞬にしてできました。

 

  有名な先生たちが、YouTubeで講演しています。政治、経済、宗教など、名講義が「自宅」で聴講できます。

 

そういう時代になりました。

「1割」に入れ

父が僕に遺した言葉は、2つありますが、そのうちの1つが、

「1割」に入れ、です。

 

学校では成績で、会社では昇進で、同期の上位「1割」に入れと。

 

ゴルフ・クラブの会員になったら、ハンディキャップ(HCP)で、

クラブの上位「1割」に入れ、ということです。

 

父は、立派な会社経営者で、ゴルフ・クラブでは、

HCPが10〜11、上位「1割」に入っていると言っていました。

 

僕はというと、学業は平凡、会社の昇進レースでは、

「ビリ」に近かったと思います。

 

父が長生きしていたら、何と言ったか・・・。

 

事実、当時の妻と二人で2時間、父に説教されたことがあります。

 

さて、会社人生に見切りをつけた僕は、50歳で早期退職し、

自分らしい生き方を探します。

 

しかし、何をすべきか、見つかりません。

 

76歳になった、2020年4月現在、

この文章を書きながら、

ようやく自分が何をすべきか、

わかったようです。

 

これから「書くぞ」と思い始めています。

 

小学生のとき、成績はクラスでビリに近かったですが、

最近、6年生のときに書いた「作文帳」を発見しました。

 

それを読むと、自然体で書けていて、作文だけは、

クラスで上位「1割」に入っていたと思います。

サー・ウィリアム

かっこ良かったな〜、サー・ウィリアム。

 

堂々たる体躯と、美しい銀髪の、品格あるビジネスマン。

 

クラシックなロールス・ロイスが良く似合いました。

 

1973年、オーストラリア、シドニー

 

サー・ウィリアムは、「AGL」という会社の社長で、財界の大物でした。

それで、「サー」の称号を与えられたのだと思います

 

AGL、「Australian Gas Light Company」はガス会社です。

 

日本なら、「東京ガス」のような存在です。

 

オーストラリア大陸の内陸部に、天然ガス田があり、

そこからシドニーまで800km、パイプラインを敷いて、

天然ガスを運ぶ計画が進んでいました。

 

僕は、商社のシドニー駐在員として、このパイプライン用に、

大口径の鉄パイプを、日本から供する仕事に携わっていました。

 

当時のオーストラリアは、労働党政権で、賃上げストが猛威をふるって

いました。ストで、ガソリン・スタンドがCLOSEし、困ったものです。

 

AGLの労組も、2ケタの賃上げを要求し、ストを繰り返しました。

 

これに対し、サー・ウィリアムは、敢然と労組を相手に法廷闘争を挑み、

毎朝、その勇姿と、力強い言動が新聞の1面を飾りました。

 

惚れ惚れする、男の中の男、 Sir William Pettingellは、「卿」でした。

コロナ・ショック

コロナ・ショックのときに、このショート・スピーチ集を書いていることに、何か運命を感じます。

 (この文章は2020年4月26日に書いたものです)

 

  先が見えない、不安な日々に、エッセイを通じて、皆さんと何かを共有することができれば、喜びです。

 

  無事にコロナ・ショックが通り過ぎたあとで、「あのショート・スピーチ集、コロナのときだったね」なんて言える日が早く来ることを願っています。

 

  初めは、第3部まで書こう、と思っていましたが、あっという間に第5部まできました。来週から第6部を書く予定で、目次はすでにできています。

 

  これまでの自分の体験の他に、皆さんや社会に発信したいことがいろいろでてきて、筆が進んでしまいます。

 

  コロナ・ショックでも、日本人が「世界で一番」の国民であることが証明されるように願っています。良いリーダーがいれば、日本は本当にすごい国です。

 

  日本に、自由主義の、「民主的ワンマン」のリーダーがいたら、すごいです。

   ○なぜ、パソコンも知らないような老人が、IT担当大臣ですか?

    台湾、香港、あたりでは、その役は30代の若手がしています。

   ○なぜ、マスクや防護服など、重要な医療品が輸入品なのですか?

   ○なぜ、学校と生徒全員がオンラインでつながっていないのですか?   

   ○なぜ、いまだに「紙」文書に「ハンコ」をついているのですか?

   ○なぜ、海外の危機で取り残された日本人を、救出できないのですか?

   ○なぜ、食糧自給しないのですか?

 

  リーダーがしっかりしていれば、できることばかりです。

 

  日本が今日あるのは、「捨て身」のリーダーたちが頑張ったからです。

2つのハワイ

ハワイには、2つの顔があります。

 

  ひと言でいえば、「アロハ」と「現実」です。「心」と「お金」、「信頼」と

「裏切り」とも言えます。

 

  正しくは「アロ〜ハ」と言いますが、「こんにちは」「さようなら」です。しかし「アロ〜ハの心」といえば、いわゆる「良い心」です。誰からも好かれ、信用され、頼られ、尊敬されるのは、アロ〜ハの心を持つ、優しい人です。

 

一方、「アロ〜ハの心」とは反対の「現実」があります。

 

僕は、ハワイの銀行に口座を開きにいき、油断したすきに、係の女性銀行員に300ドル、盗まれました。

 

ハワイに永住している日本人のMさん(男性)は、晩年、詐欺にあい、大切な事業を、他人に奪われてしまいました。Mさんは、僕の定宿、「ワイキキ・バニアン」というコンドミニアムの中にオフィスを持ち、日本人所有の、空いている部屋を僕に貸してくれました。翌年は、見知らぬ白人たちがいました。

 

しかし、「アロ〜ハ」もあります。あるとき、僕とカミサンは、水曜日の午後、散歩の帰り道、「ホノルル動物園」に寄りました。水曜日は、ハワイアンの催しがあり、バンドやフラ、子供達のウクレレ演奏などもあります。ところが、財布を忘れ、小銭しか持っておらず、入場料に3ドル(330円)足りません。

 

係の人と交渉していると、警備員の若い男性が、ニコニコ近づいてきて、ポケットから3ドル出し、僕に「どうぞ」とくれたのです。礼を言い、名前や連絡先を尋ねましたが、笑いながら手を振り、行ってしまいました。3ドルあれば、市バスでオアフ島を1周できます。給料、多くないでしょうに、ほんとにありがとうございました。

 

これこそ「アロ〜ハ」の心で、一生忘れることができません。僕も、ああいう人になりたいです。